
ある日のことです。おそらく私自身の年齢的な身体の変動期だったろうと思うのですが、睡眠サイクルが狂ってしまった時期がありました。その上低血圧体質なので、目眩も頻繁におこっていました。そんな最中の友人との会話です。
私 「最近、変なのよね〜。何だかすっごく眠いの。ボーッとしたり、まるで冬眠してる熊みたいよ」
友 「あら、まあ」
私 「更年期かなあ。まあ、もともと私は変な睡眠サイクルだったんだけどね」
友 「でも、一度病院に行ってみたら?私の知人も自分でも気付かずに、ボーっとしてることがあまりに多くなって、医者に行ったらうつ病だったんですって」
私 「へえ、でも大丈夫よ。低血圧だし、ボーッとして変なのは、昔からだしね!」
友 「そんなに"変"ってこと、ないと思うけど…」
私「 あはは、頭も変だけど、自律神経も変なんだろうね〜」
友 「....でも、自律神経ならやっぱり病院いった方がいいんじゃない?」
私 「大丈夫、病気じゃないのよ、ただ変なだけ」
友 「…あなたは、“病人”より“変人”の方がいいわけね…」
私は何の考えもなく応答していただけなのですが、友人に「病人より変人の方がいいのね」と指摘されて、ハタと思い出したことがあり、吹き出してしまいました。友人はA型ですが、この会話で、あるお母さんの話しを思い出したのです。
そのお母さんのお子さんはA型の男の子だったのですが、小さい頃から、何故か足の親指の爪が変形しやすいのだそうです。それでお母さんは何気なく
「△△ちゃん、親指の爪だけなんか変よね」
と言ったそうで、そしたらその子は、
「変って何?変じゃないよ!」
と、必死で反発してきたのだとか。
それでお母さん、言い方を変えて、
「変じゃないよね、ゴメンゴメン!それは爪の病気なのよね!だから今度お医者さんに行って切ってもらおうね」
するとその子、とたんに納得して、
「うん、切ってもらう」
と素直に言ったのだそうです。
お母さんはAB型だったのですが、
「うちの子、"変"っていわれるのがイヤらしいの。"変"より"病気"って言われる方が安心するみたいなのよね」
そしてAB型のお母さん、「私だったら"変"って言われる方がまだいいのにな」と付け加えたので、「私もよ~」と、2人で大笑いしたことがあったのでした。
どうやら(多くの)A型さんは、"変人"にはなりたくないようです。そこへいくと、"Bっ気"のある人たちというのは、変な人って言われるのに慣れているせいでしょうか? むしろ私のように、内心ほくそ笑んでいる人が案外いそうな気がします。特にB型など、「変わってる~」とか「斬新〜」とか、そういう褒め言葉が嬉しい、と言っているのをしばしば聞くのです。
ところがA型は、社会性や協調性に秀でた性質を持っており、周囲とのハーモニーを乱すまいという意識が強く働きます。あるいはO型も、人間関係や集団性ということに重きを置いているので、周囲の目や意見には、敏感になっているのです。つまるところA型もO型も、「多数派の人たちと同じであるならまずは心配ないだろう」という考えを、わりと根強く持っているらしいのです。
そういえば、「心の病」なるものも、ひと昔まえまでは、精神がおかしな状態だなんて、そんな変人奇人に思われたら恥ずかしいと、多くの人が思っておりました。そのため、AとOが多数を占めるこの人間社会では、なかなか受け入れづらかった面もあったのですが、実はそれは、病院に行くべき"病"なのだ、と認知されたことで、だいぶ様子が変わってきたような気がします。
「けしてあなたが"変"なわけじゃないのよ。病気だから仕方ないのよ」
という社会概念が構築されたことで、多くの人を安心させたに違いありません。
いずれにしても、数え上げて気にし始めれば、不安ばかりの現代社会。だれもが、心の健康を保つためには、工夫が必要なのかもしれません。私のように変人だからと開き直るのもどうかと思いますが、病気だからと薬を飲み続けるのも、けっして最善の方法とは言えないかもしれません。変人だろうが、病人だろうが、みんなが明るく前向きに暮らせる社会をつくりたいものですよね。